アニマルズ 朝日のない街。 アニマルズ/アニマルズ/ベスト

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アニマルズ 朝日のない街

アニマルズの1968年日本公演の顛末 ~アニマルズ1968年日本公演の顛末~ 改めて、アニマルズ 話がだいぶそれましたが、アニマルズは元々、よく聴いてはいたけれど、ライブビデオなどは持っていなかったので、思い出したのを機会に、youtubeを見てみました。 そして、いろいろ発見したんですが、改めて演奏を見て聴いて、何故か衝撃を受けました。 日常的に繰り返し聴いていて、よく知っている曲なのに、ライブ映像を見て、改めてアニマルズって凄いんだな、と感じたのです。 特にボーカルのエリック・バードンってこんなに凄かったのか、と思っていろいろ調べ始めたのですが、ちょっと珍しいエピソードが出てきました。 ボーカルがズバ抜けたバンドって、だいたいすぐに解散しちゃうことが多いですよね。 ローリングストーンズだけが特例で安定していますが、彼らはミック・ジャガーが経営者的な手腕を発揮してまとめ引っ張っているだけで、かなり珍しい例ではないでしょうか。 ほとんどのロックバンドって、3~4年がいいところで、すぐに解散しちゃうという印象を持っていたので、C. Rのジョン・フォガティの後追いはしても、アニマルズのエリック・バードンの後追いはしていなかったのです。 そこにこんなエピソードが出てきたので、気になって気になって。 アニマルズの1968年日本公演の顛末 この話も、運命学とは全く関係のない脱線なのですが、かなり面白いエピソードなので、お付き合い下さい。 面白いと言っていいのかどうか分かりませんが、かなり珍しい話です。 皆さん、 沢田研二の「太陽を盗んだ男」をご覧になったでしょうか。 あの中に、核を密造して政府を脅迫する主人公が、ローリングストーンズ日本公演を実現させろ、という要求を突きつけるくだりがありました。 それぐらい、大物外タレのコンサートって、日本では敷居が高く、また機会が少ないだけに、待ち望まれてもいたのです。 ローリングストーンズは1972年11月に公演が決定していたにもかかわらず、過去の大麻所持が問題になって、1973年に正式に公演中止が発表されました。 それを受けての、1979年制作「太陽を盗んだ男」のストーリー展開です。 やっと公演が実現したのは1990年で、この時のテレビ放送のビデオを筆者はいまだに持っていますが、この公演は画期的な出来事で、凄いインパクトがありました。 時まさや、バブル期真っ最中。 バブルというと良くない印象を持ちがちですが、このように好景気で、金に糸目をつけずやっちゃえ!という風に、バブル期でなければ出来ないことも沢山あったと思います。 マイケル・ジャクソン初来日公演もこの時期です。 ロックシーン全体としては、ビートルズを抜かして話をしているので、少しバランスの悪いきらいはありますが、ビートルズは1966年に来日しています。 しかしですね、66年の来日がなかったとしても、あの「太陽を盗んだ男」の脅迫要求がビートルズ来日だったら、何となく少し、インパクトが薄れる感じがします。 ビートルズでは、ローリングストーンズのあのアウトサイダー的でワイルドな濃さが足りません。 婦女子がキャーキャー騒ぐだけのイメージで、本当のロック野郎はやっぱり、ローリングストーンズですよね(断定)。 ビートルズとローリングストーンズのファンって、あんまりかぶらないんじゃないかと思います。 ただ、ビートルズの公演も何となくスムーズに行った感じではなく、この時期の海外ロックバンドの日本公演は、受け入れの体制が出来ておらず、多くの不便や難儀を伴ったであろう、という感じを受けます。 時は60年代ですから、日本では芸能界というと893屋が暗躍…というよりも、我が物顔に大手を振るっている場合も多く、その筋の人にとっては、芸能人はタレントや芸術家ではなく、売り物、商品、という時代です。 今だと、電通とか博報堂とか、大手企業が請け負うのでしょうが、まだまだ〇暴が手を出してくることの多い時代だったわけです。 この不十分な受け入れ態勢の弊害をもろにかぶってしまったのが、アニマルズです。 アニマルズと言っても、1963年~1966年の前期アニマルズは、チャス・チャンドラーの取りまとめ手腕もあってか、比較的平和だった感じがします。 その後、音楽的な意見の相違なのか、チャス・チャンドラーがジミ・ヘンドリクスを見出して、そちらのマネージャーに転身したせいか、リーダーのアラン・プライスが追い出される格好になったせいか、とにかく66年に解散します。 この間、65年に一度来日しているのですが、その時は特に問題はなく、メンバーもまた来たい、と喜んでいたそうです。 その後、エリック・バードン&ジ・アニマルズとして、違うメンバーで活動を始め、68年の来日となるわけですが、この来日はトラブル続きで、公演日程を4分の1ほど消化しただけで、後の公演はスッポカして、あたふたと途中帰国してしまいました。 双方の言い分も食い違っているのですが、後日ミュージック・ライフが取材したところによると、かなり日本側の受け入れ態勢が、ひどい状態だったことが窺われます。 当初、アニマルズ側のダブルブッキングで、来日が遅れたと思われていたのは間違い。 実は日本でのワーキングビザが下りず、やむなく日程を埋める為に、急遽、アメリカツアーを組んだとのこと。 公演スケジュールも、31日間に28公演で、長距離移動が多くてハード、大きなホールで集客して、少ない回数の公演に全力を尽くすのではなく、小さなゴーゴークラブに毎日のように出演させるやり方で、まるで、売れない無名バンドのドサ周り状態です。 赤坂MUGENなどは狭すぎて楽器もまともに置けず、宣伝不足もあって、狭い店内なのにガラガラ。 テレビに出れば出たで、演奏を途中で勝手に切られてしまうなど、およそ名のあるミュージシャンを招くのに、考えられないような扱いだったそうです。 テレビ局はともかく、これらのトラブルの原因は、この時の日本側プロモーターが、その筋の危ない組織だったことです。 アニマルズの災難 ここから先は、エリック・バードンの回想を集めたものなので、多少の脚色があったり、記憶違いが混じっている可能性もありますが、とりあえず、話に矛盾のなさそうなぶんだけを、筆者の推測を交えて述べます。 日本側のブロモーターとしては、モロにヤクザらしいストライプスーツ姿の、世話役と称する人物が、金歯を光らせて出入りしていたそうです。 この風体は、一定の年齢層の日本人からすると、ああ、あれか、とお馴染みのスタイルなので、大変だなあと思いつつも笑っちゃいますが、とにかく演奏する環境が余りにひどい。 おまけに、アニマルズ側のレパートリーと、受け入れ側の希望曲目が違うので、調整が非常に難航する。 話し合おうにも、どこの会場に行っても、英語の分かる人間が居ない。 このままでは困るので、これでは演奏できない、と抗議をしたら、いろんな手段で脅しが始まりました。 エージェントと飲みに行ったら、懐からピストルを取り出し、弾を抜いてウイスキーグラスの中にポトンと落として、威嚇してきます。 新宿の小さなライブハウス、というよりも、はっきり言って当時よくあったキャバレーのような店で演奏させられた時の話ですが、アニマルズの面々が待っていても、マネージャーが来ない。 その時、マネージャーは監禁されて、演奏するのかしないのか、しないなら殺す、と日本刀を突きつけられて脅されていたそうです。 言うことを聞かなければ他のメンバーもこういう目に遭わせるぞ、と、どんどん脅しがエスカレートしてきます。 この日のギャラなのか、全体のギャラなのか、契約関係が分かりませんが、ギャラは二回に分けて支払われる約束が一回しか支払われず、逆に何らかの違約金として、25,000ドルの小切手を書かされたそうです。 この当時だと1ドル360円の固定レートですから、900万円ですね。 1968年の900万円です。 確か大卒初任給が、3~4万円という時代だった筈です。 新宿のどこなのか分かりませんが、この時代の新宿のキャバレー街なんて、素人が足を踏み入れるには、かなりビビる場所です。 おそらく、言葉の分からない外タレをダシに金銭をむしり取る目的で、この公演が仕組まれたのではないか、という気さえしてきます。 この場合のように、タレント自身から取る場合もあれば、クラブ側から取る場合もあるでしょう。 筆者の想像ですが、違約金というのは、希望曲目を演奏しなかったとか、何らかの難癖をつけたものではないかと思います。 「朝日のあたる家」が、この後期アニマルズではレパートリーに入っていなかった事も、トラブルの種の一つだったという話なので。 しかし、言葉の分からない異国で、通訳もおらず、人相の悪い金歯の連中に取り囲まれては、音楽も契約も何も、あったものではないでしょう。 この時のプロモーターにとっては、音楽なんてどうでもいい話なのです。 まさに、この時代の日本の興行界は、未開の地です。 新宿のキャバレーというのは…もしかして歌舞伎町あたりでしょうか。 何せ、新宿のヤクザが「大阪なんて怖くて歩けねーよ」と言えば、大阪のヤクザが「新宿なんて怖くて歩けるか」と言い返すジョークがあったぐらいです。 筆者は70年前後に新宿でも池袋でも働いていた時期がありますが、三越や紀伊国屋側には行っても、歌舞伎町側は物騒で足を踏み入れたことがありません。 何とか日本脱出 アニマルズの面々は本当に身の危険を感じたので、我慢しきれなくなって日本脱出をはかります。 まあ日本が幾ら未開の別世界でも(笑)、ヤクザと一般人の間にはちゃんと垣根がある(あった)んですけどね。 グループサウンズなんて麻薬まみれの問題児ばかりで、なかなかビザが下りない犯罪者と紙一重、という認識で、それを食い物にする積りの連中に、ひっかかってしまったのでしょう。 でも日本刀で斬り殺されることはないにしろ、こういう体制で、あと3週間もやってくのはどう考えても無理。 欧米人の身にすれば、ピストルはともかく、日本刀なんか持ち出されたら、相当の恐怖だと思いますよ。 あ、日本人でも怖いか(笑)。 筆者は護身用の日本刀は枕元に置いてますけど、子供の頃から剣術とか空手とかやってるので、少し特殊なほうでしょうか。 他にも武器はいろいろ持ってるのはナイショ。 そんなこんなで、早朝にホテルをチェックアウトして、急いでタクシーに乗って羽田に向かおうとしたら、見張りのエージェントに止められます。 それでも、押し問答の末、何とか羽田に到着してロビーに居たら、例の金歯の親分が追って来たそうです。 この頃は携帯なんかないので、見張りの人間が公衆電話で連絡したんですかね。 公衆電話はだいたい行列でしたが、早朝だから空いてたのか、それとも先客を脅してどかせたか。 そりゃ怖いわ。 かのバードンも覚悟を決めて、それならと、マネージャーは通さずに、フロントマンとして自分で必死になって、金歯に抗議したそうです。 そしたらその親分が大粒の涙を流し始めて、どうなるのかと思った途端、小学生の一群が押し寄せてきて、突如サイン会になってしまい、金歯との応酬はそこで終了。 かくして、アニマルズは、ほうほうの体で日本を脱出します。 kumokiri.

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The Animals / アニマルズ「Animal Tracks / アニマル・トラックス(ブリティッシュ・ビート50周年記念紙ジャケット・コレクション<SHM

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アニマルズの1968年日本公演の顛末 ~アニマルズ1968年日本公演の顛末~ 改めて、アニマルズ 話がだいぶそれましたが、アニマルズは元々、よく聴いてはいたけれど、ライブビデオなどは持っていなかったので、思い出したのを機会に、youtubeを見てみました。 そして、いろいろ発見したんですが、改めて演奏を見て聴いて、何故か衝撃を受けました。 日常的に繰り返し聴いていて、よく知っている曲なのに、ライブ映像を見て、改めてアニマルズって凄いんだな、と感じたのです。 特にボーカルのエリック・バードンってこんなに凄かったのか、と思っていろいろ調べ始めたのですが、ちょっと珍しいエピソードが出てきました。 ボーカルがズバ抜けたバンドって、だいたいすぐに解散しちゃうことが多いですよね。 ローリングストーンズだけが特例で安定していますが、彼らはミック・ジャガーが経営者的な手腕を発揮してまとめ引っ張っているだけで、かなり珍しい例ではないでしょうか。 ほとんどのロックバンドって、3~4年がいいところで、すぐに解散しちゃうという印象を持っていたので、C. Rのジョン・フォガティの後追いはしても、アニマルズのエリック・バードンの後追いはしていなかったのです。 そこにこんなエピソードが出てきたので、気になって気になって。 アニマルズの1968年日本公演の顛末 この話も、運命学とは全く関係のない脱線なのですが、かなり面白いエピソードなので、お付き合い下さい。 面白いと言っていいのかどうか分かりませんが、かなり珍しい話です。 皆さん、 沢田研二の「太陽を盗んだ男」をご覧になったでしょうか。 あの中に、核を密造して政府を脅迫する主人公が、ローリングストーンズ日本公演を実現させろ、という要求を突きつけるくだりがありました。 それぐらい、大物外タレのコンサートって、日本では敷居が高く、また機会が少ないだけに、待ち望まれてもいたのです。 ローリングストーンズは1972年11月に公演が決定していたにもかかわらず、過去の大麻所持が問題になって、1973年に正式に公演中止が発表されました。 それを受けての、1979年制作「太陽を盗んだ男」のストーリー展開です。 やっと公演が実現したのは1990年で、この時のテレビ放送のビデオを筆者はいまだに持っていますが、この公演は画期的な出来事で、凄いインパクトがありました。 時まさや、バブル期真っ最中。 バブルというと良くない印象を持ちがちですが、このように好景気で、金に糸目をつけずやっちゃえ!という風に、バブル期でなければ出来ないことも沢山あったと思います。 マイケル・ジャクソン初来日公演もこの時期です。 ロックシーン全体としては、ビートルズを抜かして話をしているので、少しバランスの悪いきらいはありますが、ビートルズは1966年に来日しています。 しかしですね、66年の来日がなかったとしても、あの「太陽を盗んだ男」の脅迫要求がビートルズ来日だったら、何となく少し、インパクトが薄れる感じがします。 ビートルズでは、ローリングストーンズのあのアウトサイダー的でワイルドな濃さが足りません。 婦女子がキャーキャー騒ぐだけのイメージで、本当のロック野郎はやっぱり、ローリングストーンズですよね(断定)。 ビートルズとローリングストーンズのファンって、あんまりかぶらないんじゃないかと思います。 ただ、ビートルズの公演も何となくスムーズに行った感じではなく、この時期の海外ロックバンドの日本公演は、受け入れの体制が出来ておらず、多くの不便や難儀を伴ったであろう、という感じを受けます。 時は60年代ですから、日本では芸能界というと893屋が暗躍…というよりも、我が物顔に大手を振るっている場合も多く、その筋の人にとっては、芸能人はタレントや芸術家ではなく、売り物、商品、という時代です。 今だと、電通とか博報堂とか、大手企業が請け負うのでしょうが、まだまだ〇暴が手を出してくることの多い時代だったわけです。 この不十分な受け入れ態勢の弊害をもろにかぶってしまったのが、アニマルズです。 アニマルズと言っても、1963年~1966年の前期アニマルズは、チャス・チャンドラーの取りまとめ手腕もあってか、比較的平和だった感じがします。 その後、音楽的な意見の相違なのか、チャス・チャンドラーがジミ・ヘンドリクスを見出して、そちらのマネージャーに転身したせいか、リーダーのアラン・プライスが追い出される格好になったせいか、とにかく66年に解散します。 この間、65年に一度来日しているのですが、その時は特に問題はなく、メンバーもまた来たい、と喜んでいたそうです。 その後、エリック・バードン&ジ・アニマルズとして、違うメンバーで活動を始め、68年の来日となるわけですが、この来日はトラブル続きで、公演日程を4分の1ほど消化しただけで、後の公演はスッポカして、あたふたと途中帰国してしまいました。 双方の言い分も食い違っているのですが、後日ミュージック・ライフが取材したところによると、かなり日本側の受け入れ態勢が、ひどい状態だったことが窺われます。 当初、アニマルズ側のダブルブッキングで、来日が遅れたと思われていたのは間違い。 実は日本でのワーキングビザが下りず、やむなく日程を埋める為に、急遽、アメリカツアーを組んだとのこと。 公演スケジュールも、31日間に28公演で、長距離移動が多くてハード、大きなホールで集客して、少ない回数の公演に全力を尽くすのではなく、小さなゴーゴークラブに毎日のように出演させるやり方で、まるで、売れない無名バンドのドサ周り状態です。 赤坂MUGENなどは狭すぎて楽器もまともに置けず、宣伝不足もあって、狭い店内なのにガラガラ。 テレビに出れば出たで、演奏を途中で勝手に切られてしまうなど、およそ名のあるミュージシャンを招くのに、考えられないような扱いだったそうです。 テレビ局はともかく、これらのトラブルの原因は、この時の日本側プロモーターが、その筋の危ない組織だったことです。 アニマルズの災難 ここから先は、エリック・バードンの回想を集めたものなので、多少の脚色があったり、記憶違いが混じっている可能性もありますが、とりあえず、話に矛盾のなさそうなぶんだけを、筆者の推測を交えて述べます。 日本側のブロモーターとしては、モロにヤクザらしいストライプスーツ姿の、世話役と称する人物が、金歯を光らせて出入りしていたそうです。 この風体は、一定の年齢層の日本人からすると、ああ、あれか、とお馴染みのスタイルなので、大変だなあと思いつつも笑っちゃいますが、とにかく演奏する環境が余りにひどい。 おまけに、アニマルズ側のレパートリーと、受け入れ側の希望曲目が違うので、調整が非常に難航する。 話し合おうにも、どこの会場に行っても、英語の分かる人間が居ない。 このままでは困るので、これでは演奏できない、と抗議をしたら、いろんな手段で脅しが始まりました。 エージェントと飲みに行ったら、懐からピストルを取り出し、弾を抜いてウイスキーグラスの中にポトンと落として、威嚇してきます。 新宿の小さなライブハウス、というよりも、はっきり言って当時よくあったキャバレーのような店で演奏させられた時の話ですが、アニマルズの面々が待っていても、マネージャーが来ない。 その時、マネージャーは監禁されて、演奏するのかしないのか、しないなら殺す、と日本刀を突きつけられて脅されていたそうです。 言うことを聞かなければ他のメンバーもこういう目に遭わせるぞ、と、どんどん脅しがエスカレートしてきます。 この日のギャラなのか、全体のギャラなのか、契約関係が分かりませんが、ギャラは二回に分けて支払われる約束が一回しか支払われず、逆に何らかの違約金として、25,000ドルの小切手を書かされたそうです。 この当時だと1ドル360円の固定レートですから、900万円ですね。 1968年の900万円です。 確か大卒初任給が、3~4万円という時代だった筈です。 新宿のどこなのか分かりませんが、この時代の新宿のキャバレー街なんて、素人が足を踏み入れるには、かなりビビる場所です。 おそらく、言葉の分からない外タレをダシに金銭をむしり取る目的で、この公演が仕組まれたのではないか、という気さえしてきます。 この場合のように、タレント自身から取る場合もあれば、クラブ側から取る場合もあるでしょう。 筆者の想像ですが、違約金というのは、希望曲目を演奏しなかったとか、何らかの難癖をつけたものではないかと思います。 「朝日のあたる家」が、この後期アニマルズではレパートリーに入っていなかった事も、トラブルの種の一つだったという話なので。 しかし、言葉の分からない異国で、通訳もおらず、人相の悪い金歯の連中に取り囲まれては、音楽も契約も何も、あったものではないでしょう。 この時のプロモーターにとっては、音楽なんてどうでもいい話なのです。 まさに、この時代の日本の興行界は、未開の地です。 新宿のキャバレーというのは…もしかして歌舞伎町あたりでしょうか。 何せ、新宿のヤクザが「大阪なんて怖くて歩けねーよ」と言えば、大阪のヤクザが「新宿なんて怖くて歩けるか」と言い返すジョークがあったぐらいです。 筆者は70年前後に新宿でも池袋でも働いていた時期がありますが、三越や紀伊国屋側には行っても、歌舞伎町側は物騒で足を踏み入れたことがありません。 何とか日本脱出 アニマルズの面々は本当に身の危険を感じたので、我慢しきれなくなって日本脱出をはかります。 まあ日本が幾ら未開の別世界でも(笑)、ヤクザと一般人の間にはちゃんと垣根がある(あった)んですけどね。 グループサウンズなんて麻薬まみれの問題児ばかりで、なかなかビザが下りない犯罪者と紙一重、という認識で、それを食い物にする積りの連中に、ひっかかってしまったのでしょう。 でも日本刀で斬り殺されることはないにしろ、こういう体制で、あと3週間もやってくのはどう考えても無理。 欧米人の身にすれば、ピストルはともかく、日本刀なんか持ち出されたら、相当の恐怖だと思いますよ。 あ、日本人でも怖いか(笑)。 筆者は護身用の日本刀は枕元に置いてますけど、子供の頃から剣術とか空手とかやってるので、少し特殊なほうでしょうか。 他にも武器はいろいろ持ってるのはナイショ。 そんなこんなで、早朝にホテルをチェックアウトして、急いでタクシーに乗って羽田に向かおうとしたら、見張りのエージェントに止められます。 それでも、押し問答の末、何とか羽田に到着してロビーに居たら、例の金歯の親分が追って来たそうです。 この頃は携帯なんかないので、見張りの人間が公衆電話で連絡したんですかね。 公衆電話はだいたい行列でしたが、早朝だから空いてたのか、それとも先客を脅してどかせたか。 そりゃ怖いわ。 かのバードンも覚悟を決めて、それならと、マネージャーは通さずに、フロントマンとして自分で必死になって、金歯に抗議したそうです。 そしたらその親分が大粒の涙を流し始めて、どうなるのかと思った途端、小学生の一群が押し寄せてきて、突如サイン会になってしまい、金歯との応酬はそこで終了。 かくして、アニマルズは、ほうほうの体で日本を脱出します。 kumokiri.

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